Part 1|ポイペト 2007.1
2007.1.1(25日目)
思い立ってカンボジア
突然、昨日の夜にふと思い立って、バンコクからカンボジアに来てしまった。3日後にはまたバンコクからネパールへ飛ばなければならないというのに、なんと無計画なことか。
移動は280キロの鉄道の旅。「今日は新年のめでたい日だから代金はいらないよ」という駅員さんの言葉に踊らされた。
イミグレーションに着くと、タイ側の出国手続きには大量のタイ人が並んでいる。しかしカンボジア側の入国ゲートにはタイ人の姿がない。後で聞いた話では、バンコクからカジノ目当てで来る人向けに、国境を越えやすい仕組みがあるのだとか。カジノではタダ飯にありつけるという話も聞いていたが、最近は相当のチップ交換が必要らしい。それでも少し粘ってみると、なんとクーポンをもらえて、豪華な食事にありつくことができた。
カンボジアのイミグレーションでは賄賂の要求があると聞いていたが、今日は正規のビザ代1000バーツで通れた。国境付近には物乞いの子供たちが観光客の様子を伺っている。
2007.1.2(26日目)
ポイペト探索
今日は本格的にポイペトを歩き倒した。後で知ったことだが、地雷撤去が完全ではない地区に指定されており、ガイドブックでも「絶対に立ち止まってはいけない」と書かれている場所らしい。知っていたら歩く勇気など出なかっただろう。
そういった事情もあってか、珍しい訪問者を手厚く歓迎してくれるという一面もあり、なかなか面白い体験ができた。今日だけで3軒の現地の方が「家に来てくれ」と招いてくれた。子供だけでなく大人までも、興味津々に近づいてくる。
食事も勧めてくれたのだが、出てきたものはさすがに手をつけられるものではなかった。虫と草と……。子供たちの目はいたって真剣で、冗談を押しつけているわけではない。何とかその場を取り繕ったが、ふと自分が慈悲深い顔をしているのに気がついた。精一杯の笑顔を作り直す。これでは失礼きわまりない。
夜、宿で今日会った人たちの顔がしばらく浮かんで眠れなかった。純粋すぎる彼らが、もう少しまともな生活ができるようになればと、ただそれだけを思っていた。
2007.1.3(27日目)
分別収集
200バーツの宿にしては豪華な部屋だった。テレビ、ホットシャワーつきで清潔感もある。久々にぐっすり眠れた気がする。しかし5階建てのこのホテル、今日の時点で泊まっているのは私だけのようだ。
今日の朝はゴミ拾いをしている子供たちについていくところから始まった。タイでもそうだったが、公共のゴミ箱というものがない。皆が好き勝手に捨てているその中から、丁寧に分別しながら集めている子供たちがいる。お金になるらしく、学校へ通えない子供たちの収入源になっているようだ。
ふと、この国には極端に老人が少いことに気がついた。クメール・ルージュが残した傷痕なのだろう。
カジノで中華料理をたらふく食べ、バンコクへVIPバスに乗って帰った。陸続きで他国と接するというのは、現地の人にとってどういう意味を持つのだろう。その問いは、帰りのバスの中でずっと頭を離れなかった。
Part 2|シェムリアップ・アンコール遺跡 2007.2〜3
2007.2.23(77日目)
カンボジア再来
またカンボジアに来た。前回は国境付近の町しか見ていなかったので、今回はアンコール遺跡群を目指す旅だ。
タイ側アランヤプラテートで学生旅行中の日本人2人と出会い、トゥクトゥクを国境までシェアしてイミグレーションへ向かう。しかし3人で話していたのがまずかった。係員に目をつけられ、賄賂として200バーツを取られた。そこから日本語のできる係員風の男につきまとわれ、言われるままにシェムリアップ行きのバスに乗せられる羽目になった。
このバスが曲者だった。しばらく走ったところで「クーラーが壊れた」と言って修理工場に寄り道し、2時間以上を費やす。わざと時間を稼いで、契約している食堂に客を夕飯時に誘導するのだ。夜に着く場所も安宿街から外れた契約ホテルの前。「夜は危険だから歩かない方がいい」と脅しながら、そのホテルに泊まらせようとする。ガイドブック通りの展開に、ただ感心するばかりだった。
21時にホテル前に降ろされ、他の日本人と行動していては次に何のカモにされるかわからないと判断し、ひとりバイクタクシーで安宿街へ逃げ込む。大学生の卒業旅行シーズンらしく、どの日本人宿も満室。粘って探し、「ヤマトゲストハウス」に修理中の部屋があると聞き、我慢してもらえるならということで決定。
2007.2.24(78日目)
ゲテモノ
ヤマトゲストハウスの居心地がいいので、10日分キープしてここを拠点にアンコール巡りをすることにした。DVDの貸し出しもあり自室で観られる。まず予習として「地雷を踏んだらさようなら」「キリングフィールド」を見ることにした。
他の日本人宿で情報ノートを眺めているうちに、日本人のおじさん2人と友達になった。片方はNPOとしてカンボジアに来ているらしく、苦労話に加え、この国の裏側の話をいろいろ聞きながらの宴会になった。なぜ月平均収入20ドルの国にランクルが何台も走っているのか、アンコールワットの経営の仕組み、ポルポト派の現状など。帰宅後に調べると断片的ながらすべて事実らしく、一気にカンボジアに詳しくなった気がした。
今日は今回の旅でたぶん一番えげつない食べ物を食べた。おじさんに勧められたそれは、一見ゆで卵と同じなのだが、割るとホクホクしたヒヨコが入っている。スプーンで掘ると生えかけの羽毛と目玉が出てくる。目隠しをしながら食べると、うまかった。
2007.2.25(79日目)
ベンメリア
早朝4時に起きて、アンコール遺跡巡りの旅が始まった。最初に選んだのはベンメリアという遺跡だ。宮崎駿の「ラピュタ」の世界そのものだと日本人に評判の場所である。
バイクタクシーで55キロ、2時間かけて到着。古代遺跡が亜熱帯のジャングルに侵食されている最中で、神秘的な雰囲気が抜群だ。朝8時から観光客は私だけで、巨大遺跡を独り占めだ。立ち入り禁止の札もなく、屋根を伝って隣の建物によじ登ったり、回廊の上段を歩き回ったりと、インディー・ジョーンズ気分。修復が行われていないこの場所では、転がっている石を裏返すと綺麗なレリーフが現れたり、石仏の破片が瓦礫の山をなしていたりする。
朝8時から夕方5時まで、写真を撮ったり瞑想したりしながら過ごした。11時ごろからツアー客が訪れ、1〜2時間ほどで慌ただしく去っていく。それを横目に、ただひとつの場所に一日を捧げる旅を続ける。
撮影は正直、失敗だった。前夜にISO800のまま設定を忘れて撮り続けてしまった。日差しが強すぎて適正露出も得られず。また別の機会に来たい──苔がむす雨季、蔦が伸び放題で緑あふれる季節に。
2007.2.26(80日目)
シェムリアップ散歩
午前中はゲストハウスの本でアンコール遺跡の予習をし、DVD「地雷を踏んだらさようなら」を見て過ごした。カメラマンの一ノ瀬青年がカンボジアで取り憑かれたように撮影し続ける作品だ。
午後からは、アプサラダンスの練習場へ。ポルポト政権によって一度は根絶やし寸前になったカンボジアの伝統芸能を、今まさに復活させようとしている場所だ。小さな子供たちが懸命にダンスを練習している。栄養が十分に行き届いていないのか、見た目だけでは年齢が掴みにくいが、10歳に満たない子から教える側の20〜30代まで、それぞれが真剣な眼差しで向き合っていた。知識層が処刑された時代、踊り手たちも同じ運命をたどった。そんな過去を持つ踊りは、まだ洗練とは言えないかもしれない。それでも確実に取り戻そうとする意気込みが感じられて、心を打たれた。ささやかな寄付とジュースの差し入れをした。
2007.2.27(81日目)
バイヨン
今回の旅では時間があるため、レンタル自転車での移動をメインにした。比較的大きな遺跡は一日かけてゆっくり見て回り、撮影し、瞑想して古代の文明に触れる。そのためアンコール遺跡の1週間チケット(60ドル)を購入した。
アンコール遺跡入場券を持っての初日はアンコール・トム内にある「バイヨン遺跡」。12世紀にジャヤヴァルマン7世が建てた仏教寺院跡で、古代インドの宇宙観を具現化した場所として知られている。
観音菩薩の四面塔。遠くから見ても複雑で神秘的な印象を与えるが、壁に手が届くほど近づくと、レリーフが細部まで施されていることに驚く。
お気に入りの場所を見つけて日記を書いているところだ。信心深い人間ではないはずなのに、こういう場所に来ると、ふとした瞬間に感慨にふけりたくなる場所が見つかる。
しかし、冬のはずのカンボジアでこれほどの灼熱は日本でも体験したことがない。14時には限界を感じ、ゲストハウスへ退散。11キロの道のりを1時間半かけて自転車で帰った。
2007.2.28(82日目)
タ・プローム
今日もジャヤヴァルマン7世の代表的な寺院「タ・プローム」へ向かう。創設時は仏教寺院だったものが後にヒンドゥー教に改宗されたという経歴を持つこの寺院では、自然のままで放置するとどうなるのかの研究が行われているという。
ゲストハウスから15キロ、自転車で移動。途中には各国が支援して修復している現場がいくつもあった。看板には「○○国の援助によって修復された」という趣旨の記載がある。確か昨日のバイヨンにも日本の支援の様子が写真付きで紹介されていた。それぞれの国が自国のやり方で修復に関わる姿は、善意ゆえに難しさもあるのだろう、と思う。
タ・プローム自体は素晴らしかった。直径3メートルにもなるガジュマルのツタが遺跡を飲み込んでいる。栄枯盛衰の美を感じずにはいられない。観光客が多すぎて気に入った場所でのんびりできないのが、唯一残念だった。
2007.3.1(83日目)
ピョンヤン・レストラン
夕飯を変わったところで食べてきた。カンボジアは北朝鮮と国交を持つ国で、「Pyongyang Friendship Restaurant」という名の北朝鮮料理店が存在する。日本人の友人2人を誘って3人で入ることにした。
店に入ると、韓国人の団体旅行客がバスで来ており、なかなか賑やかだ。喧嘩当事者同士がこういう場で席を共にするとはなんとも奇妙な状況で、しかも今日は停電が多く、その都度妙な緊張が走った。
「日本人だとどういう反応をされるか」と緊張しながら、韓国語で挨拶してみる。すると「いらっしゃいませ」との返答──すでにバレていた。日本語と英語がわかるスタッフが私たちのテーブル係として配置されていたようだ。メニューにも英語表記がある。北朝鮮料理といえば冷麺しか思い浮かばない3人で揃って冷麺を注文。前菜には豆と卵焼き、そして鉄のボウルに盛られた冷麺が登場した。
食べている間に舞台が騒がしくなってきた。テーブル係だった女性がシンセサイザーに合わせて歌い出し、他のスタッフが踊りを披露する。韓国人客の中には一緒に歌い出す人もいた。朝鮮半島に共通する民謡なのだろうか。20〜30分のショーで、私たちも次第に緊張がほぐれていった。
前菜、ショータイム、丁寧な接客込みで7ドル。十分に満足できる夜だった。
2007.3.2(84日目)
タイゾー、タイゾー!
早朝5時半から行動開始。アンコールワットの前を自転車で何度も通りながら、良いものは最後にとっておこうと、まだ入ったことがなかった。今日は朝日が良さそうだったので外観だけと思って入ってしまったのが始まりで、昨日ピョンヤンレストランで一緒だった友人たちとばったり会い、3人で行動することになった。
一ノ瀬青年の墓があると聞いて一緒に向かう。映画でさほど感銘を受けなかった私は気が進まなかったが、成り行きで。アンコールワットから15キロほどのところにトゥクトゥクで向かうと、子供たちが集まって来て「タイゾー、タイゾー」と声をかけてくる。15分ほどの道を10人の子供を引き連れて歩くことになった。墓らしき場所に着くと、当然のように寄付を求められた。こちらも相当腹が立ち、丁重にお断りした。
気を取り直して遺跡めぐりへ切り替える。「東洋のモナリザ」と称されるバンティアスレイ遺跡とタ・ソム遺跡を巡った。
2007.3.3(85日目)
カンボジアの影
今日は早朝5時半からタ・ソムへ自転車で向かった。観光客が日の出ポイントに集中している間に、他の遺跡へ向かうとほぼ独占できる。先日気に入ったタ・プロームで、今日はゆっくり撮影。9時ごろ観光客が押し寄せてきたところでおさらばだ。見所だけを急ぎ足で巡るツアーをよそに、遺跡で昼寝などしながらたっぷりとした時間を過ごす。
シェムリアップの町に来てから、ゲストハウス前の寺院でずっとお祭りが続いている。朝4時ごろから爆音のスピーカーが鳴り響く。新しく建てられた寺院のお祝いらしく、その周りに数百人の物乞いが集まっていた。手足のない人、栄養の行き届いていない子供、そして奇形の赤ちゃんを抱えたお母さんまでいた。明らかに行き過ぎた光景に胸が痛む。全国から祭りのある場所へ物乞いを運んでくる仕組みがあるのだとも聞いた。この風景がここでは当たり前のようで、わざわざ少額紙幣への両替を専門にしている人がいたりする。
日が沈むころには、サイコロ賭博の輪ができ、少年がシンナーを手にうつろな目で歩き回っている。お布施の皿に置いたお金が、ボロをまとった子供に素早くくすねられる。
移動式の回転木馬が来ていた。車のエンジンに直結した手作りの遊具で、安全性は皆無だが、それに乗る子供たちは本当に楽しそうに笑っている。
カンボジアの本当の姿を見たければ、寺院のお祭りに行くといい。深い歴史の傷跡と、混沌としたエネルギーが、そこに凝縮されている。
2007.3.4(86日目)
アンコールワット
シェムリアップに来てから十日、やっとアンコールワットの中に入った。
ラテライトという粘土のような素材で作られた外装は、イメージしていたほど繊細ではなかった。しかしここにかつて大都市の中心があり、多くの人が崇め、祈りを捧げてきたことは確かで、パワーがみなぎっていた。
回廊の一番上でのんびり瞑想するつもりでいたところ、邪魔者が入った。現地の子供が私の持ち物を興味深そうにいじりだす。日記を書いていると、女の子にMP3プレイヤーのイヤホンを奪われ、隣にちょこんと座って音楽を聴きだした。しばらくすると飽きて、今度は日記のノートとボールペンを貸してくれと言い、勝手に絵を描き出す。どうやら似顔絵を描いてくれているようだ。悪気はまったくない。私も暇だったのでノートの切れ端で折り鶴を折ってやることにした。すると途中で奪われ──驚いたことに、正確にその後を完成させてしまった。以前にも日本人旅行者がこの子の好奇心に負けて鶴の折り方を教えたのだろう。
当初の目的はことごとく崩れてしまったが、改めていろいろなことを考えさせられた一日だった。文明が発達するにしたがって削り取られていく「子供らしさ」は、日本にはもう取り戻せないものだろう。言葉が通じなくてもできるコミュニケーションの方が、ずっと心地よいものだとこの子に教わった気がする。
2007.3.5(87日目)
アンコール最終日
カンボジアに来てから、空気のせいか毎朝のどが痛くてたまらない。今日はそれに加えて体もだるく、軽い風邪気味のようだ。アンコールのチケットが今日で切れてしまうというのに、午前中は動く気力が出ず、ゲストハウスの住人たちとの会話に時間を費やした。出発は14時を過ぎた。
体調は思わしくないまま出かけたが、ゲートでポケットを探るとチケットがない。忘れてきてしまった。やけくそで一度ゲストハウスまで自転車を走らせ、戻ってくる。アンコールワットにたどり着いたのは16時ごろ、日が傾き始めたころだった。
途中の回廊には目もくれず、入り口から一直線に頂上を目指す。朦朧とした意識が、かえってスケールの巨大さを神秘的に見せてくれた。回廊の奥がうねり、見上げると逆光に照らされた塔。柱と天井の隙間から中心の塔が迫ってくる。
1時間ほど見たところで、急にバイヨン遺跡に行きたくなった。最後を飾るにはバイヨンの方がふさわしい気がして。到着したころにはすっかり暗くなっており、広い境内に外国人がひとりと私だけ。人目を気にすることなく、レリーフを手でなぞり、古代の情報を探った。目を閉じると、ここに費やされた時間と労力の一部が、静かに伝わってくる気がした。
帰り道、「MOIMOI」というレストランの名前に惹かれて夕食。白身魚のココナッツ煮が、うますぎた。
2007.3.6(88日目)
カンボジア最終日
早朝4時に起きる。昨晩は蚊に悩まされて寝た気がしない。
刺激が多く見るものも多いが、深入りできない緊張感が常につきまとうこの国を、やっと離れられる。複雑な気持ちでもある。
近くのゲストハウスの掲示板でタクシーシェアの張り出しを見かけた4人でタクシーに乗り込み、タイ国境へ向かう。シェムリアップに来たときのバスは7時間かかった。今日のタクシーは70キロのスピードを保ち、わずか3時間で国境に運んでくれた。同じ道のりでこの差は、それぞれの乗り物が何を目的にしているかの違いだろうと思った。